ヒビコレ

色々と気になること、日々のことなどを記録していきます

September Good-bye

 何だか、今年もあっという間に夏が終わってしまいましたね。ほんの数週間前まで蝉時雨の中で、Tシャツをビショ濡れにするほど汗をかきながら、強い日差しに肌を焼かれていたのが嘘のようです。
 とは言え、残暑はまだ厳しく、日中は半袖、朝夕は長袖というのが定番のスタイルなのですが。
 
 そう言えば、今朝、飛行機雲を見たのですよ。
 青い空を垂直に切り裂いていくような、そんな飛行機雲を。
 その時に、僕は思ったのです。ああ今年も夏が終わったな、と。
  
 夏が終わったな、と僕が思う瞬間は常に同じです。
 それは9月に、飛行機雲を見たとき。
  
 そう思うようになったのは20歳の夏のこと。
 
 ・・・大学に入学した年、僕はかなり精神的に不安定な時期にありました。
 大学受験に失敗し、それでも家庭の事情で浪人することは許されず、やむを得ず自分が志望したところとは違う地方の三流私大に入学した僕にとって、「大学とは非常に退屈なところだ」くらいの認識しかありませんでした。
 
 もともと、コミュニュケーションが苦手な僕にとって、そんな精神状態にあっては、サークル活動などに参加するなんてことは出来るわけもなく、もちろん友人らしい友人も出来ない状態で、ただ鬱屈とした日々を過ごしていました。
 もっとも、生まれつきの貧乏性のため、家に引きこもっているなどということは出来ずに「学費を払っているのに大学に行かないのはもったいない」などという精神のもと、大学の図書館で読書にふける毎日だったわけですが。
 
 夏休みも近づいた日のこと、僕がいつものように図書館で本を読んでいると、突然、僕の背後から女性の声が聞こえてきたのです。
 
 「いつも、ここにいますね?」と。
 
 僕は、突然の声に驚いて、「は、はぁ」と言うのが精一杯でした。
 
 それが、僕と彼女との最初の会話でした。
 その時、僕は確か、カート・ヴォネガットの小説を読んでいたと思います。
 彼女は、図書館でたびたび見る顔でした。たしか、外国語で同じクラスのはずです。もっとも、名前すらも知りませんでしたが。
 その頃の僕には、自分の精神状態を維持させるのに精一杯で、他人のことに何の興味ももたなかったのです。

 驚いて、ただ呆然とするばかりの僕に、彼女は次々と言葉を投げかけてきました。
 
 図書館で、いつも本を読んでいる僕が気にかかっていたこと。
 その本を時に盗み見すると、自分の趣味と一致していたこと。
 自分の周囲には、そういう本を読む人が少ないので、友達になりたいと思っていたこと。
 だけど何もキッカケがつかめなかったということ。
 そして、その日、夏休みも、もう少しということで思い切って自分の方から声をかけたということ。
 
 最初は、僕は何かの冗談だろうと思って聞いていました。だって、そうでしょう?自分でも分かるくらい、さえない容姿の人間。そして、外部に対するコミュニュケーションを遮断している人間。それが、その時の僕なのです。そんな人間に話しかける女性がいるなんて考えられますか?
 
 そんな僕にかまわず、彼女は僕に一通り話した後、フゥっと息をついて・・・
 
 「ということで、友達になってくれますか?」
 
 と笑顔で訊ねてきました。その勢いに、ただ圧倒された僕は、コクリとうなずくだけでした。
 
 まぁ、その後も彼女のペースに飲まれっぱなしでして、いつの間にか、彼女の所属していた演劇サークルなどというところの合宿やら、キャンプやらのメンバーの中に入れられてまして。
 気づけば、夏休みが終わる頃には、そのサークルに完全に染まっていまして。
 今から思うと、あれは勧誘の一種だったのかなとも思うのですが。
 
 そんなこんなで夏休みも終わり、気づいたら僕は図書館にいるよりも、サークルの部室にいることの方が多くなっていました。鬱状態はかなり緩和して、他の学生とも話せるようになり、友人と呼んでもいい存在も、少ないながらも何人か出来ました。
 
 もちろん、その友人の中でも、一番、仲がよかったのは、彼女であったということは言うまでもないですが。
 友人という言い方は正しくないかもしれません。もちろん恋人でもなかったですが。
 でも僕らは、もしかすると恋人以上に、精神的には繋がっていたかもしれません。少なくとも、当時の僕のことを一番分かっていたのは、彼女だったと思います。
 そう言う意味で、友人というよりも、相棒(パートナー)と言った方が適切かもしれません。
 もっとも彼女は僕と違って、社交的であったせいか、多くの友人に恵まれていたので、僕のことも、そんな友人の一人としてしか見ていなかったかもしれませんが。
 
 とにかく、それほどまでに、彼女が僕の生活に与えた影響は大きいものでした。今、思うと、もしも図書館で彼女が僕に話しかけてくれなかったら、僕はずっと孤独なまま、全ての世界を遮断していたかもしれません。
 
 そんなわけで彼女と知り合ってからというもの、僕の学生生活は、ごく平凡に過ぎていきました。正確に言えば、平凡ではあったけれど楽しく過ぎていきました。
 ごく普通に授業を受けて、ごく普通にサークル活動して、ごく普通にバイトして、ごく普通に酒飲んで、酔っぱらって騒いだりして・・・
 
 入学した頃の僕からでは想像できないような、平均的な学生像。
 多分、今までの僕の生活の中で、その頃が一番幸せだったのでしょう。 
 
 彼女と僕が出会ってちょうど1年が経った頃、つまり夏休みが始まる直前、僕は彼女が大学を辞めることを彼女自身の口から聞くこととなります。
 前々から、彼女は今の大学を辞めて、アメリカの大学で学びたいと言っており、僕はそれを冗談と思って聞き流していたのですが、彼女は本気だったようです。
 
 一度決めたことは、必ず実行するという彼女の性格を僕はよく知っていましたから、引き止めることは一切しませんでした。恋人だったら、僕は彼女を思いきり抱きしめて「オレをおいて行くな!」などと叫んでいたかもしれません。でも、僕達は「仲がよい友達」でしかありませんでしたから、ただ彼女に「向こうへ行っても、僕のことを忘れないで欲しい」と言うことで精一杯でした。
 彼女は「忘れるわけないよ、あなたのことは。忘れるわけないじゃない。」と答えてくれました。
 
 彼女が、日本を出発するのは、結局、夏休み後の9月となりました。
 彼女が日本へ出発するまでの間、夏休みということもあり、彼女の送別会という名の飲み会が何度も行われました。もちろん、僕も彼女の送別会に何度か出席しました。 
 
 そんな送別会の中で、偶然に、彼女と僕が二人きりになった時に、彼女が言ったことがあります。
 
 「正直言って、私が以前に何回か、アメリカへ行くと言った時に、あなたが引き止めてくれたらと思っていた。私のことが、好きだから行くな!とか言ってね。もちろん、私はあなたの性格をよく知ってるつもりだし、あなたも私の性格をよく知っているから、そうなることは絶対にあり得ないだろうなと思っていたけど。でも、引き止められていたら・・・正直に言って分からなかったな」
 
 酔った勢いで出た言葉だったかもしれません。でも、その時になって、僕は気づいたのです。僕は彼女のことなど、何一つ理解していなかったことを。
 僕は、そんな自分を、そして彼女の言葉に対して、ただ笑って誤魔化すことしか出来ませんでした。
 
 そんな感じで、僕の最も騒がしく、そして最も切ない夏休みが終わったのです。
 
 彼女の出発の朝。
 それは、9月の晴れた日曜日のことでした。
 まだ夏の暑さが、身体に残っているようなそんな季節。
 彼女は笑って手を振りながら、僕や他の友人達に別れを告げて、飛行機へと向かっていきました。
 
 しばらくの後、彼女が乗っている飛行機の行方を見送りながら、僕はその時、思ったのです。
 
 「ああ、夏が終わった」と。
 
 
   昨日より高い空を飛行機雲が
   君の住む町の方へと二つに切り裂いた
 
   想像してたんだあの雲の行方と 
   変わっていくかも知れない僕の人生を
 
   さよなら君が笑いながら手を振る
   夕立が雷を連れてきても
   さよなら九月は夏の景色も変えず
   これから来る冬には気づきもしないで
   気づきもしないで 気づきもしないで
   ("September Good-bye",PHILIPS)
   
 
 
 その時からです。
 僕がこの季節に飛行機雲を見る度に「夏が終わった」と思うようになったのは。
 
  <追記>
 彼女とは、その後、3年くらいの間、頻繁に手紙のやり取りをしました。
  
 彼女の望み通り、アメリカの大学へ入学したこと。
 そして仕事も向こうで見つけたこと。
 完全に向こうで暮らすこととなったこと。
 
 そのようなことが、手紙には書かれていました。
 ああ、そうそう、新しい人生のパートナーを見つけて、一緒に暮らしているということも。
 
 
 手紙からは、彼女の幸せな生活を読みとることが出来ました。
 僕は、そんな彼女からの手紙を読んで、自分の夢を着実に歩んでいる彼女を羨ましく思うと共に、元気づけられたものです。
 彼女は、まさしく僕の青春時代の象徴であり、彼女が頑張っているから、僕も頑張らなくてはという気持ちになったものです。
 
 その後、僕も彼女も仕事が忙しくなるにつれて、手紙のやり取りなどはせず、せいぜい正月の年賀状でお互いの近況報告をするだけの付き合いとなりましたが、彼女は相変わらず幸せそうでした。
 いや、幸せだったに違いません。
 
  「子供が産まれました」2001年正月。
 それが、彼女からの最後の連絡でした。
  
 2001年 9月11日 アメリカ同時多発テロ事件勃発
  
 僕は、その日、仕事で疲れて早々と寝たため、次の日の、Yahooニュースで知ったのですが、かなり動揺したことを覚えています。
 でも、まさか、僕の身近に、その犠牲者がいるとは思いもしませんでした。
  
 飛行機雲で僕の夏の終わりを告げた人は、今度は飛行機の煙の中に消えていったのです。
   
 大学時代の友人から、そのことを聞いたときは、僕はただ「嘘だろう?」と繰り返すだけでした。
 僕には、とても信じることが出来なかったのです。
 彼女が、この世からいなくなったということが。 
 
 一年経った今、その事実を信じられるかと言えば、僕は半々(フィフティー・フィフティー)と答えるでしょう。理解しているつもりでも、心の奥ではまだ納得出来ていない部分があるのです。
 あんなステキな人間を、神様がそんなに早く殺すわけないじゃないかと。
 
 ただ一つ言えることは「僕の青春が終わった」ということです。
 
 僕は、これからも9月の飛行機雲を見る度に思うのでしょう。
 「夏は終わった」と、そして「僕の青春は、そこにあった」のだと。
   
   さよなら僕や君がいなくなっても
   輝いてる星さえ消える日がくる
   さよなら九月は夏の景色も変えず
   これから来る冬には気づきもしないで
   さよならをする
   さよならをする
   ("September Good-bye",PHILIPS)

 
 

September Good-Bye/Philips

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